足跡

まったりゆったりDairy?

12/20までにいろいろ考える 私とDOFのこと

さて、DOFの最後のワンマンツアーが始まり、10月も終わろうとしている。

 

11月中のワンマンは許可が下りなかったため一か所も行くことができない私は、今の心情でも書き記して12月に備えようと思う。なんせライブに行けば気持ちの整理がつくはず、きっと悲しい気持ちも薄れて最後には笑顔で見送ることができるはず、と思っていたのに実際はその逆で、どんどん「DOFが活動終了する」ことの現実味が薄れていくのだから。こうして今の気持ちを文章にでもしないと、いつの間にか12月20日になって、いつの間にか終わってしまう気がするのだ。

これまで頭に浮かんでいた色々なことを1つずつ整理して、たまには思い出に浸ったりなんかして、来たる終わりまで過ごそうと思う。

 

去る10月1日。例の発表がされた日。

いまだにあのツイートと画像は直視できない。OfficialサイトもTwitterも、何か調べようと開けばあのツイートが目に入り、その度に視線をずらして画面を上へスクロールする。

今まで色々なバンドが歩みを止めるところを見てきた。そしてその度に、「いつかDOFにもこういう日が来るのだから、今のうちからシミュレーションしておこう」と想像して心を慣らそうとしていた。今考えるとなんてことをしているんだと呆れる思いだが、それだけDOFの終わりは私にとって大ダメージになることがはっきり分かっていた。それだけ欠かせない存在だった。

それでもいざ「活動終了」の字を見たときは、理解ができなかった。「活動終了ってなんだ?どういう意味だったっけ?」そんな考えが頭を埋め尽くした。その後、「そんなわけない、何かの冗談じゃないか。きっとこれは現実ではない」とスマートフォンを投げ出したのだった。今まで生きていた世界とは違う、知らない世界に迷い込んだような気分だった。

今まで散々シミュレーションしてきた想像の中の解散の方が、現実の活動終了よりもはるかに現実味を帯びていた。

 

それから1週間は毎日泣いて、毎日誰もいないツイキャスで一人思いの丈を語っていた。

もう涙も出てこなくなってきたな、と思いつつ、10月8日のライブを迎えた。もちろん泣いた。それはそれは大泣きした。まず幕の向こうから聞こえてくる楽しそうな声に泣きそうになった。一発目のNPCのイントロで涙が止まらなくなり、そういう意味じゃないと分かっているのに「何で君が泣いているの?僕はずっとそばに居るよ」という歌詞が刺さって抜けなくなった。からのMy World、「少しでも君が笑顔になれるなら この場所は守るよ だからこれからも」。この日はこういった系統の歌詞がすべて涙腺を刺激してきた。その後はしばらくいつも通り楽しんでいたが、最後のyuyaさんの「泣いてる人たちいるけど俺たちは笑顔になってほしくてやってるから」という言葉にまた寂しい気持ちを思い出して泣いた。幕が閉じた後、フロアで泣いてる人全員抱きしめたいとぼんやり思いながら、物販列の波にのまれたのであった。

 

 こうして活動終了発表後初のライブを終えたものの、悲しい気持ちは依然として変わらず、現実を受け入れられることもなかった。ただ、ライブを重ねれば重ねるほど、DOFがいなくなってしまうという実感は薄れていった。最初ほど悲しい気持ちがないのは、そういう理由なのだろう。相変わらず楽しくてかっこいいライブをするものだから、「終わり」なんて忘れてしまうのだ。

そう、DOFはいつでもかっこいいのだ。いつ行ってもかっこいいライブをしてくれると分かっていたから、幸せな気持ちになれると分かっていたから、安心して会いに行けた。いてくれるだけで心強かった。だからこの2年間行ける限りのライブに行った。とても充実した2年間だった。そして今も充実している。今が充実しているのは、最後だからと遠征経験0でも構わず地方を飛び回っているから、というのが皮肉なものであるが。

(言い忘れていたが、私がDOFを知ったのは2021年のバグサミのフライヤーである。詳しくは別の記事に書いてあるので省略させていただくとしよう。)

 

 2年。2年か。長いような短いような。いや、体感では秒だったから短いのだろう。

 逆に、この2年間だけでも交わったのが奇跡のように思える。滑り込みセーフ、と言ったところだろうか。あの時フライヤーでDOFに目をつけた私を、ちゃんと検索をかけて曲を聴いた私を、「誕生日にライブに行きたいです」と打診した私を褒めてあげたい。どこか1つでも欠けていたら、今の幸せな生活はないのだから。そして本命であるruiさんに出会うこともなかった。彼のバンドマン人生を考えると、私が見られたのはそのほんの一部でしかないことが少し寂しくはあるが、それでも時間を共有できたことを嬉しく思う。DOFもruiさんも、ここまで続けてくれていたからこそ出会うことができた。続けていてくれたことに心の底から感謝をしたい。

 

あのバンドとの対バン見たかったなとか、この箱で見たかったなとか、そういうちょっとした心残りはあるものの、これまでのことに後悔は不思議なほどない。

ただ一つ、自分の性質に関しては後悔が残っている。先ほども述べたように、私がDOFを追いかけられたのはたった2年だった。それはDOFが活動してきた9年を考えると短すぎる時間だ。DOFを見ていた時間よりも知らない時間の方が圧倒的に長い。どんな方法を使っても自分が知らない頃の彼らを100%知ることは不可能で、あまりにも知らない時間が長いがゆえに、「自分はDOFのことを全然知らない」という、何と言えばいいだろうか、何か後ろめたさのようなものがあった。そのためにもともと引っ込み思案な性質も相まって、発信・発言することに臆病になっていた。それでもこれから知っていけばいい、そうしてだんだん愛情と感謝を伝えられるようになれればいい、と考えていたことを、今は後悔している。

 

これだけ色々与えてくれた彼らに、愛情すら伝えられなかった私は何か返せただろうか。いや、まだ何も返せていない。今回できる限りライブに行けるよう色々と計画を練っているが、それでも1割返せるかどうか。今からでも何かできないだろうか。そんなことを考える日々である。