足跡

まったりゆったりDairy?

12/20までにいろいろ考える 私とヴィジュアル系のこと

 今回、10/1の発表を受けて私に起きた変化の一つに、「ヴィジュアル系をずっと好きでいるのだろうな」という漠然とした気持ちが初めて揺らいだことがある。

 

 バンギャと呼べる期間はそれこそDOFを追っていたこの2年しかないが、ヴィジュアル系の音楽は親の影響で物心ついたときから聴いていたし、ライブには小学生の頃からついていっていた。親がヴィジュアル系のライブに行かなくなってからも、自分が他の趣味に熱中してる間も定期的にヴィジュアル系の音楽は聴いていた。聴くとワクワクするし、自分の心の形にぴったりフィットするような感覚がある。熱中することはなくとも、この先もなんだかんだヴィジュアル系が好きなのだろうと思っていた。

 

 しかし、発表を受けてからぼんやりと「ああ、もう無理かもしれない」と感じた。きっと聴いても彼らほど好きになれないだろうし、むしろ彼らが恋しくなって辛くなる。逃避でしかないと分かっていたが、もう触れずにいる方が楽だろうと思った。音楽に散々助けられてきたが、今回ばかりは音楽でもどうしようもない。どうしようもないんだ、と打ちひしがれていた。

 

 だが、その考えはすぐ覆されることになった。11月4日に開催された、遣らずの雨音楽祭。普段触れることのないバンドの曲やライブ、バンギャの熱量を浴びている間に、やはりライブ、ヴィジュアル系の音楽、この空間が好きだと再確認した。ふわ、と張っていた糸が緩むような思いだった。

 

 さて、そこまでヴィジュアル系が骨まで染みている私だが、先ほども述べたようにDOFくらいしか自主的に追いかけたことがない。これまで好きになったバンドも、

アリス九號.、ダウト、BORN

→ジグザグ

→ザアザア

→蟻、キズ

→DOF、Chanty…

と、おそらく偏っている。キズからDOFに来たときは何があったんだ?と自分でも疑問だった。正直、ここに挙げたバンドの共通点といえば「ヴィジュアル系バンドである」ことくらいだろう。すると、ヴィジュアル系とは何なのかという、よく挙げられる議題に思考は行きつくことになる。

 

 私は化粧をしている人間も派手な格好をしている人間も好きだ。では、現在ヴィジュアル系のシーンで活動していないバンドでもそのような格好をすれば好きになるか?と言われれば、答えは「NO」である。

 

 文章に書き起こせないほど刹那的で、ときどき飛躍しながら考えを浮かべていった結果、ヴィジュアル系とは何かという定義のようなものには辿りつかなかった。しかしヴィジュアル系の一要素として、彼らは作品を生み出す存在であると同時に、作品そのものである、という答えが浮かんだ。音楽は見ることができないから、衣装やメイクという形で彼らのやりたい表現を「視覚化」(=ヴィジュアル化)しているとも言える。

 

 音楽だけでは飽き足らず、全身を使って表現したいものを表現する。何とかっこいい生き方なのだろうか。おそらく私がヴィジュアル系に惹かれているのは、こういうところである。そう考えると、私がDOFとruiさんを好きになったことはごく自然なことなのだ。衣装、メイク、セットリスト、細部にまで意味を込められた彼らの作品はいつ見ても感動させられる。その時伝えたいことを伝える。そんな姿が好きなのだ。

 

 よく「このバンドはヴィジュアル系と呼べるのか」という話も見かけるが、私は「本人がそうだというならそうなのだろう」と思っている。結局は「ヴィジュアル系でありたいかどうか」であり、それはまるで「血」のようなものであり、バンドマンに限らずそれを好きでいる者の根底にあるものなのかもしれない。